PANYA.くらぶ物語 PANYA.くらぶの代表である森薗かおりは、熊本県の出身。今から30年ほど前、仕事を辞めて何をしようかと悩んでいた時、高校時代の同級生である立山由子と、旅行で訪れた地が鹿児島県の『霧島』でした。 霧島といえば霧島温泉郷。わたしたちは妙見温泉「雅叙苑(GAJOEN)」へ立ち寄りました。そこのオーナーである田島氏と話す機会があり、これからどうしようか悩んでいることを告げると、「あなたにしかできないことは、何?」と聞かれました。「自分にしかできないこと…パンを焼くこと?」 同級生である立山由子とわたしの共通の趣味は、パンを焼くこと。 一緒にパン教室へ通い、次々と給料をつぎ込み機材を購入。 気が付けば、パン屋ができるぐらいになっていたのです。 30年ほど前の霧島は、週末は観光客でにぎわうものの、平日はほとんど人が来ない閑散とした場所でした。 そしてパン屋は1軒もありませんでした。 「パンが焼けるんだったら、一度送ってよ」という話になり、後日2人で焼いたパンを送らせていただくことに。 すると早速、「美味しかったわ!!」「こんなに美味しいパンが焼けるのなら、こっちに来て焼いたらどう?」と田島氏。 田島氏の言葉に心を動かされ、趣味だったパンづくりを本業にすることを決意。 パン屋を始めるなら、パン屋が多い地元より1軒もない霧島にしよう。 1993年(平成5年)7月22日、わたしたちは住みなれた街を離れ、霧島へと向かったのでした。 もちろんすぐにうまくいくはずはありません。パンは非常にデリケートですから、知らない土地、気候の違いに悩まされる日々。「霧島の人に喜んでもらえるパンを作りたい」そんな想いで、独自のパンづくりを追い求めていきました。 単一の生地にトッピングでバリエーションをつくるおかずパンなどが主流の中、「一生地一商品」「パン生地本来の美味しさ」にこだわり続けました。そして、「高級さと素朴さ、懐かしさと新しさ」「作る者の喜びと食べる者の喜び」それらを包みこむ、懐の深いパンが出来上がったのです。 立山由子は、結婚を機に霧島を離れましたが、「PANYA.くらぶ」は、地元の人たちに支えられながら、美味しいパンを焼き続けています。
PANYA.くらぶ物語 PANYA.くらぶの代表である森薗かおりは、熊本県の出身。今から30年ほど前、仕事を辞めて何をしようかと悩んでいた時、高校時代の同級生である立山由子と、旅行で訪れた地が鹿児島県の『霧島』でした。 霧島といえば霧島温泉郷。わたしたちは妙見温泉「雅叙苑(GAJOEN)」へ立ち寄りました。そこのオーナーである田島氏と話す機会があり、これからどうしようか悩んでいることを告げると、「あなたにしかできないことは、何?」と聞かれました。「自分にしかできないこと…パンを焼くこと?」 同級生である立山由子とわたしの共通の趣味は、パンを焼くこと。 一緒にパン教室へ通い、次々と給料をつぎ込み機材を購入。 気が付けば、パン屋ができるぐらいになっていたのです。 30年ほど前の霧島は、週末は観光客でにぎわうものの、平日はほとんど人が来ない閑散とした場所でした。 そしてパン屋は1軒もありませんでした。 「パンが焼けるんだったら、一度送ってよ」という話になり、後日2人で焼いたパンを送らせていただくことに。 すると早速、「美味しかったわ!!」「こんなに美味しいパンが焼けるのなら、こっちに来て焼いたらどう?」と田島氏。 田島氏の言葉に心を動かされ、趣味だったパンづくりを本業にすることを決意。 パン屋を始めるなら、パン屋が多い地元より1軒もない霧島にしよう。 1993年(平成5年)7月22日、わたしたちは住みなれた街を離れ、霧島へと向かったのでした。 もちろんすぐにうまくいくはずはありません。パンは非常にデリケートですから、知らない土地、気候の違いに悩まされる日々。「霧島の人に喜んでもらえるパンを作りたい」そんな想いで、独自のパンづくりを追い求めていきました。 単一の生地にトッピングでバリエーションをつくるおかずパンなどが主流の中、「一生地一商品」「パン生地本来の美味しさ」にこだわり続けました。そして、「高級さと素朴さ、懐かしさと新しさ」「作る者の喜びと食べる者の喜び」それらを包みこむ、懐の深いパンが出来上がったのです。 立山由子は、結婚を機に霧島を離れましたが、「PANYA.くらぶ」は、地元の人たちに支えられながら、美味しいパンを焼き続けています。